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ハートを大事にし、納税者の権利を第一に相談に応じます。
セールスは下手ですが、計数に明るく、クライアントがクライアントを紹介するほど、相談者への誠実な対応が魅力です。
荻野会計事務所では、
“クライアントとは
家族的情味を持って接し、
共存共栄を目指す”
ことを経営方針のトップに
置いています。
荻野弘康所長は、高校(都立第三商業高校)1年の時に全国高校簿記コンクールで優勝しています。そもそも、商業高校に入学したのは中学生の時に好きなソロバンで1級に合格していたことがきっかけ。
驚くべきは、大学進学の学費を稼ぐため高校1年にして塾長として自宅の8畳間でソロバン塾を開いたこと。月謝は150円で生徒が63人集まり、その合計は当時の担任の給与にほぼ匹敵。中央大学に進学後は生徒が500人に膨れ上がり月謝も500円になっていたことから、収入は月25万円、年間300万円にもなりました。その時、中央大学の授業料は年2万円。父親の給与は3万8千円なので父親の給与の7人分稼いだことになります。所長の影響を受け、弟さんもソロバン(暗算)で高校日本一になり、現在は公認会計士として活躍しています。
荻野所長は「ハート」を大事にします。機械的な数字だけでなくそこに関わっている人間のことを知らなければいけないといいます。これが経営方針である家族的情味につながりますが、データやインターネットなどを軽く見ているわけではありません。
そもそも荻野所長は、昭和59年12月にテープカットした税法データベースのTAINSの初代委員長でした。TAINSにアクセスすれば税法の判例などがキーワードをもとに検索しダウンロードできる当時としては画期的なもので、日弁連のコンピュータ委員会のメンバーがデータベースの作り方について教えを請いにきたほど。
税法データベースに着目したのは、税務署と納税者との間で課税の取扱いで解釈の違いが出た場合、参考となる判例を探すのに、苦労していたから。その後は、かつての、そろばん・簿記から、コンピュータ・情報の世界に踏み込みトップランナーとしてリードしてきました。
ただし、税法データベースの開発には当時の費用で3億円もの予算が必要だったことから批判もあったと当時の苦労を語ります。
荻野所長は、実際の税務行政は通達中心で動いているが、通達はあくまで行政内部での税法解釈であり、憲法から委任された税法に従って、納税者の権利を守ることが大事で、通達ありきではないと話します。このため税務当局と争うこともありますが、仲が悪くて争うのではなく、不合理な通達は、税の専門家である税理士が指摘しなければならないことから争うとの考えです。
事務所があるのは住宅地の一角。普通でしたらこのような住宅地で事務所を開いていても成り立たずお客さんは来ません。ただし、この場所で延べ5千人にそろばんを教えたことが縁となって、その生徒が経営者になった今も、「先生」と慕って事務所を利用してくれています。
事務所の営業はしたことがなく、奥さんからは、もっと仕事をしなさいと怒られているそうです。もっとも所長はセールスが下手ですが、その分、クライアントがクライアントを紹介してくれています。お客さんが営業部長をしてくれるわけです。
顧問先企業が立ち上げた頃、苦しい状況を見て報酬をもらわなかったところ、その後、成長した企業が感謝して報酬の値上げを申し出ることがあったそうです。これも所長の言うハートがなせる結果のようで、クライアントの信頼につながっています。
昭和11年5月生まれの81歳。現在、中央大学会計人会の会長を務めています。ソロバン仕込みの抜群の計算能力は今も衰えていません。